サタンの自然屈服の歴史、南米ナビレケとサロブラ
Updated: Aug 17, 2021
ピーター・パウロ・アルヴェス・ピニェイロ氏の証より
私はこのパンタナールを忘れることができません。ここは、霊界の相軒氏を通じて、朴マリヤ家庭に対する神様の願いを受けて深刻になった場所です。どうして神様がそのようになったのかというのです。悔しくて恨めしいのです。そのようなことを考えれば、はらわたが煮えくり返って骨がしみ出てこなければなりません。(296-43, 1998.10.11)
韓国から見れば、パンタナールは極と極です。日本から見るときもそうです。パンタナールは地球の果てです。そこには源焦聖地があり、根源聖地があり、勝利聖地があります。これはとても大きなことです。根源聖地は、パンタナールにあるホテルに設置されているのですが、そこは、水があろうと何があろうと何の問題もありません。水上宮殿が造られているのです。(304-110, 1999.9.10)
聖地を守り、聖地の名をより高めることは、日本人が国家的にしなければなりません。(304-110, 1999.9.10)
根源聖地は、ブラジルのマト・グロッソ・ド・スル州ナビレケにあるホテル・アメリカーノにあります。(https://goo.gl/maps/MSQMdCys3jj4krReA)
サロブラの聖地 (1,064 ヘクタール) は、ブラジルのマト・グロッソ・ド・スル州ミランダにあります。(https://goo.gl/maps/GsA5mZjoweuMEh5n9)
神様と大天使ルシファーの歴史を記録するために、子々孫々に語られるべき物語がこの地にあります。これは、無限の愛と赦しによって地獄の門を開き、1999年にサタンが自然屈服することで復帰摂理を完成させた再臨主の物語でもあります。
この物語は、真のお父様に目撃者として任命されたブラジル人のピーター・パウロ・アルベス・ピニェイロ氏によって語られなくてはなりません。西暦1999年5月14日にナビレケのホテル・アメリカーノの14号室で、神様、お父様、とルシファーの歴史的な出会いと、その日に至ったサロブラでの肉的・霊的な戦いを誰よりも身近で経験した人物です。
なぜ、韓国・日本の反対側の、誰も寄り付かない未開の湿地帯が、源焦聖地・根源聖地・勝利聖地であるのかを理解するためには、ピーター・パウロ氏の証を聞く必要があります。また、この時代に先祖解怨と祝福という恐ろしい恩恵を私たちが受けれるようになった根拠が、このパンタナールでのお父様の歩みにあります。
ピーター・パウロ氏は、21歳の若き船長として、真のお父様がパンタナールの湿地で最初に購入した土地であるサロブラで御父母様に出会い、船の運転手として仕えました。当初は教会員ではなく、原理教育も受けていませんでしたが、パンタナールで真のお父様の霊的役事を誰よりも近くで体験し、ナビレケとサロブラの証人として真のお父様に任命されました。1998年、真のお父様はパウロ氏と相対者のマルシア・クリスティーナさんを、3億6千万祝福の第一号のカップルとして祝福されました。
OHS 2021.6.4
(この証は、2021年5月~6月に音声データとして録音され、ポルトガル語で文字起こしされた後、ピーター・パウロ氏の許可を得て英語・日本語に翻訳されたものです。)
ピーター・パウロ・アルヴェス・ピニェイロ氏の証言
「ナビレケとサロブラの聖地の重要性」
サロブラの土地を購入
サロブラは1996年に購入されたのですが、もともと真のお父様は1995年(私が初めて真のお父様にお会いした時)に購入を試みられました。1995年にこの土地は売りに出されていましたが、真のお父様が買おうとされた時には、すでに別の買い手に売却されていました。
1996年に真のお父様は、ユン・サン・キム博士(元ジャルジン・プロジェクト会長)に、パンタナールの湿地帯で購入できる土地を探しに行くように言われました。そんなある日、ルイス・リバスという不動産業者を連れて土地探しをしてたのですが、見つからず、キム会長は道を迷いながらお父様が待たれるジャルジンに向かい帰途についていました。実はキム会長は寝ていたのですが、運転手は昼食をとるためにサロブラホテルのレストランの前に車を止めました。ホテルのレストランで昼食をとりながら、キム会長はホテルと土地のオーナーであるクラウディオ氏に話を聞き、サロブラの土地とホテルが再び売りに出されていることを知りました。以前、売却されていたのですが、その購入者が破産し、支払いを完了することができなかったため、裁判所で元のオーナーであったクラウディオ氏に回収され、再度売りに出されていたのでした。
キム会長はジャルジンのニューホープファームに帰ると、お父様には湿地帯で売られている土地は見つけれなかったと報告しました。しかし、サロブラが売りに出されていることを話すと、お父様がは素早く反応され、すぐに購入することを指示されました。キム会長は「でもサロブラは湿地帯ではないです。岩ばかりです」と言うと、お父様は「サロブラならば購入してもよい。購入しなさい」と指示されました。
その夜の内にルイス・リバス氏がクラウディオ氏に電話をかけ、クラウディオ氏はミランダからジャルジンまでの200キロの距離を旅し、次の日に会い来ました。2日間の内に、売買が合意されました。それは1996年8月4日と5日の出来事でした。
真のお父様は、1996年8月8日の午前8時から9時の間にサロブラの土地に到着されました。お父様はそこに着くと景色を見られ、「これはとても美しい」と言われました。
実は真のお父様はすでにスーツケースに荷物を詰めており、キム会長が湿地に購入できる物件を見つけられなければアフリカに行く準備ができていたそうです。真のお父様は、3度にわたり、「サロブラ農場が見つかっていなければ、アフリカに行くつもりだった」と私に直接話されました。サロブラは、地理的にパンタナール湿地帯に位置しています。農場の中に湿地があります。
こうして真のお父様はサロブラ牧場を購入されました。真のお母様と数名のご子女様やお孫様たちと共にこの地で生活されるようになりました。
サロブラで釣りが始まる
真のお父様がサロブラを購入された時、私はサロブラで観光客用の船の運転手として働いていました。私はまだ教会員ではありませんでしたが、真のお父様がこの地域で最高の船長を探しておられたので、私が選ばれ、真のお父様の釣りのために船を運転することになりました。当初、真のお父様がサロブラ農場で日々を過ごし始められた時、私には自然を研究する観光者のように見えました。お父様は落ち着いておられましたが、その態度に深みを感じました。日々の釣りの活動は、ごく普通に見えました。
ある日、私は真のお父様に初めてサロブラ川を紹介しました。濁ったミランダ川では魚があまり釣れませんでした。サロブラ川はきれいで観光に適していたので、そこに行くことを提案しました。それまでお父様はパクーという魚を知らなかったのは、それまで金色のドラドと言う魚に集中しておられたからです。サロブラ川でパクーを釣り始められたとき、一匹も釣れませんでした。それから真のお父様はパクーの釣り方を調べ始められました。その地域についてもっと知りたいと言われたので、私たちはさらに川を上りました。